どうも、武信です。(No847)
過去記事です。
今回は「他力本願の他人頼みの生き方がいかにマズイか?」を書いていきます。
そして「他力本願の真逆の生き方であるDaiGoの生き方」を僕は絶賛します。
「具体的にどういうことなのか?」興味が湧いた人は続きをお読みください。
1 他力本願な生き方とは?
他力本願な生き方とは「他人の力を頼りまくる生き方のことでして、自力の部分がかなり少なくなる生き方」のことです。
例えば「会社に多くを依存するサラリーマン、能力もスキルもない夫に依存する専業主婦、TV局に依存する芸能人」などが挙げられます。
「会社に多くを依存するサラリーマン」は会社の寿命が約25年と短くなる世の中においては会社が潰れたら将来設計が壊れるかもしれません。
日本では転職市場が海外と比べてそこまで整っておらず、自分で社外で通用するスキル構築をそこまでしなかった場合、つまりその会社内でしか通用しないスキルばかり磨いていた場合悲惨なことになります。
次に「能力もスキルもない夫に依存する専業主婦」がいますが、たとえ夫のことが嫌いになったとしても稼ぐ能力がないですから離婚もできません。
夫の横暴に我慢をし続ける人生になります。
そこに自分の自由・選択肢はあまりありません。
そして「TV局に依存する芸能人」にも同じことが言えます。
TV局は最近は不祥事を起こした芸能人を簡単に切る、もしくは干す行為を頻繁に行っています。
TV局に依存していた場合、TV局に切られたり、干されたら一気に収入ダウンとなります。
だからこそTV局の偉い人に逆らえません。
ここに自由・選択肢はあまりないといえます。
他力本願の人生とは他人頼みの部分が多いのです。
では、この他力本願な人生と真逆の生き方をしているDaiGoの事例を見てみましょう。
2 DaiGoの人生。
まず、DaiGoはTV局に頼る生き方を辞めました。
ニコニコ動画で会員数を増やし、YouTube広告も得て、年収は軽く14億は超えそうです。(YouTubeでさらっと1億円の年収はDaiGoは2週間で稼げると言っていたので、月に2億円として2億☓12ヶ月で24億稼いでいるかもしれません)
DaiGoはTV局に干される心配もなく、しかも芸能人のように人気商売・イメージ商売でもなく「有益な情報を提供する形式」ですので、その有益な情報を顧客が欲しているうちは商売が安泰というわけです。
次に、DaiGoはニコニコ動画に頼るのも辞めました。
「ニコニコ動画に過度に依存するのはマズイ」と思ったからでしょう。
独自に、Dラボ動画というアプリを作っており、いつでもニコニコ動画と縁を切る準備はできています。(現在DaiGoはDラボで独自課金を始めました!)
TV局の偉い人にもニコニコ動画にも頭を下げる必要がありません。
ちなみにDラボ動画のアプリはDaiGoの商売の肝となる部分ですが、この部分をDaiGoの弟のプログラマーに任せることで突然の裏切りなどのリスクを軽減させています。
また、DaiGoは様々な試行錯誤を重ねており、そこにもDaiGo自身で頭を使い、他力本願な姿勢はかなり少ないように見えました。
もちろん、DaiGoといえど全部、自力でビジネスをやるのは不可能なので他人の力も借りていますがそれでも上手にやっています。
訴訟の場合は弁護士の力を借りたり、サムネ編集者はおそらくそういう系統の人を雇ったり、ブログはライターに外注しているのでしょう。(しかも普通のYoutuberは動画編集者がいるのにDaiGoの動画は編集をほぼしていないので動画編集者を必要としないのです)
しかし、この人達(弁護士・サムネ編集者・ライター)はいわば「代わりがいくらでもいる存在」であり、金さえ出せば何とかなります。
つまり、DaiGoも頼っている部分はあれど「代わりがいくらでもいる存在」であり、まったく不安材料ではないのです。
唯一、DaiGoのビジネスの不安部分は「YouTubeでの行動の制限、コンテンツ提供者(パレオさんなど)との不仲、Dラボ動画制作の弟プログラマーとの不仲」でしょうが、それはしっかり管理しているようです。
DaiGoはこのように極力「他力・他人に依存しない人生」を生きています。
ではDaiGoがどうしてこのような人生を歩むようになったか?といえば、以下の理由だと推測します。
3 DaiGoが他力本願な生き方をしなくなった理由とは?
僕の推測ですが、DaiGoが他力本願な生き方をしなくなった理由は「DaiGoの幼少期にある」と踏んでいます。
DaiGoはYouTubeなどで話していますが小2から中2まで8年間いじめられていたそうです。
その間先生も助けてくれず、それどころか先生もいじめに加担していたようなのです。
DaiGoはいじめられていた8年間無力感を味わい、「自分はこの程度の人間なんだ」と思い、諦めていました。
ですが、中2でいじめっ子に母親のことを侮辱されて、そのいじめっ子を殺そうと思い、ナタを投げたらあさっての方向に飛んでいきましたが、それを見たいじめっ子は「あいつはヤバイ」となり、それ以来見る目が変わったそうです。
この体験からDaiGoは「自分から行動しなければ何も変わらない」と学び、「他人頼み、他人が助けてくれるという思考がなくなった」のだと思います。
そこからDaiGoは自分改造をしまくり、他人の力など期待せず、これまで生きてきたのでしょう。
このような経験は僕は貴重だと思います。
最後に、僕の事例も載せておきましょう。
4 僕の事例。
僕はけっこう長い期間他力本願な生き方をしてきました。
恥ずかしい限りです。
ですが、その理由として「TV局などのメディアに意図的に騙されてきたから」というモノがあります。
詳しくは「メディアを支配する男」または「安倍に迫害された男」などの僕の自伝を読んでもらえたら、と思います。
20代の頃の僕はどこかで「メディアに期待されている、期待に応えれば救ってくれる」という今から考えればどうしようもない幼稚な考えを抱いていました。
その幼稚な考えを抱いた理由は「メディアのほのめかし戦略、ガスライティングなどの洗脳操作」によるものでして、意図的な詐欺行為であり、しかもTV局などの大会社なら20代の知識が少ない僕のような若者は騙されても仕方なかったと言えます。
30代から僕は「さすがにおかしい」と思い始め、そこからは自力で実力をつける路線にシフトしていますが、それでも「まだ、どこかで助けてくれるかもしれない」と淡い幼稚な願望を抱いていました。
僕としては「メディアによる意図的な騙し・詐欺」に遭ったわけでして、そのような体験を他の誰かにしてほしくなくてこのブログを運営している目的はあります。
また「詐欺行為により、僕の人生がめちゃくちゃになった怒り」の意味もあります。
今から思えば20代でメディアの詐欺を見抜き、自力でプログラミング学習などに路線を変え、スキルを磨いていればもう既にかなり稼いでいる状態になっていたかもしれませんが、それは過去の話です。
ここ数年は僕も「自力で何とかしなければ!」と思っており、WordPressの有料テーマを買うことにより長年の懸念事項だったブログデザインは何とか解決させ、あとは「メディア運営をどう収益化するか?」に視点が移っています。
ですが、どうやらGoogleやツイッター社、さらには政府により特定秘密保護法に指定されて、封印されている疑惑が出てきました。
僕自身は自力で何とかしようとしているのに外側の人達に妨害されているのです。
詳しく知りたい方は「ホントの陰謀論」のブログをお読み下さい。
元々、僕はこのブログも自力で作り上げてきました。
大学も行かず、外で働いていない僕がネット友人を複数人作れるまで至りました。
コミュ力をかなり上げることで、ある程度魅力ある人達に相手にされるようになったのです。
普通は引き篭もり生活でほぼ読書だけで、僕のようなスキルを構築するのは至難の業だと思われます。(スキルはブログ運営やライティング力やコミュ力など多数)
社会人の方であれば上司やメンターや友人がいたり、何らかの環境が整っているのが普通ですが僕にはそんなものはありませんでした。
で、今は僕は「他力本願な部分は2割、自力は8割」という目安で考えています。
他力の部分も多少は当てになる可能性があると踏んでいますが、そこまで期待していません。
理由はメディアらに長年騙され続けてきたので信用がゼロに近いからです。
長年騙しておいて「さぁ信頼せよ」と言われても、そんなの無理でしょう。
「どうせ、また先延ばししてズルズルこのままの状態を続けるんだろうな」という思いがかなり強いです。
まず、メディアらに僕を助ける誘因があまりありません。
助ける誘因があまりないのだとしたら、助けるという合図はポーズに過ぎず、本音は「このまま先延ばしし、現状維持だ」になります。
なので、僕はもう「自力で何とか突破するしかない」と思い始めているのですが、まだ突破口が見いだせないでいる状態です。
結局一番頼りになるのは最後は自分です。
僕は長年の人生で、本当にこの「頼りになるのは最後は自分」という概念を痛感しています。
皆さんにもぜひ、他力本願な生き方はやめた方がいいとかなり強めに強調して伝えたいと思います。
DaiGoの生き方は正しいです。
結局他力本願な生き方をした人は「最後は負ける可能性が高い」と思います。
DaiGoのような生き方を皆さんもした方がいいと感じます。
とはいえ、今は「他力2割、自力8割」の路線で考えています。
ではこの辺で。(4147文字)
このブログは個人的見解が多いですが、本・記事・YouTube動画などを元にしつつ、僕の感性も加えて、なるべく役立つ・正しいと思われる記事を書いています。
あくまで読者がさらに深く考えるきっかけとなればいいなぁという思いですので、その辺は了解ください。